遊佐雅美プロフィール
1973年 神奈川県生まれ。中学、高校と陸上競技部に所属 東京健康科学専門学校でライフセーバーの道に 1993年 ジャパンサーフカーニバル、ビーチフラッグスで優勝 以来、13連覇中。国内では無敵 海外では94、96、00年の世界選手権(2年に一度開催)で3度の優勝 またライフセービングの本場でレベルの高い96年全豪選手権でも優勝 現在、西浜ライフセービングクラブに所属し、毎夏、ライフセーバーとしてビーチの監視、指導をしている 身長156cm、体重50kg 著書に『遊佐雅美のスイミング・マスター』(日本文芸社) 06年2月、オーストラリアで行われる『Rescue06世界選手権』では、前人未到の4度目の優勝を目指す *ビーチフラッグスとは? 海での人命救助に必要な技術を、より高めていこうと開催されているのがライフセービング競技会。ビーチフラッグスは21競技ある公式種目のなかでもとくに人気の高い競技。後ろ向きにうつ伏せになった選手が、20m離れた地点にあるホースチューブ(競技者より少ない本数)を取り合う。いち早く溺れた人にたどり着けるかを競う目的ではじめられた。
陸上に没頭していた中高時代、そして「ある一言」がライフセーバーの道へ
- のっぽくん
- 雅美さんは、中学・高校時代は陸上競技に没頭されました。
- とき子さん
- 「中学時代は長距離をやっていましたが「長く走るのはイヤだ」と、高校時代には短距離の選手になったほど。高校時代は100mをやっていて、高3のときに東京都で3位になったことがあるようです。記録的には12秒台中盤で、インターハイや国体には出られなかったようです。
それでも練習だけは、サボらずに通っていました。とくに高校時代は自宅から学校まで1時間30分ほどの電車通学。それでも毎日通っていたのは、すごいことだと思っています。
まあ、練習の後でアルバイトなどもしていたので、そんな陸上だけというわけではなかったと思います。
ただ、スタートダッシュが、ビーチフラッグスには欠かせないことを考えると、高校時代に短距離選手として鍛えられたのが、良かったかもしれません。」 - のっぽくん
- 雅美さんの中学、高校時代はどんな生徒だったのでしょうか?
- とき子さん
- 「朝から炒飯やケーキなど食べることは小さいときから変らず。それ以外は、ごく普通の高校生。
ただ真面目で、好奇心も旺盛で、いろんなものを吸収する力はありました。中学、高校時代はあまり結果には結びつきませんでしたが、練習に対する姿勢は、誰にも負けなかったと思います。
また、高校生になっても素直な心を維持していたと思います。人の話に感動する、人の気持ちがわかるなど、物事に対して、真っすぐな視点を持つことができたのではないでしょうか。」 - のっぽくん
- そんな雅美さんが、高校卒業後、ライフセーバーの道を選んだ。そのきっかけがお母さんだったと聞きましたが?
- とき子さん
- 「いえいえ、ただ、雅美が大学受験に失敗し、どうせ1年間浪人しているのなら、私の妹の知り合いの専門学校に行って、身体を動かしていればと、勧めただけです。
その学校は運動実践指導士やスポーツインストラクターを養成する学校で、とくにライフセーバーになって欲しいためではありません。なにしろ雅美は陸上を続けようと思っていたのに、その専門学校には陸上部がありませんでした。そこで、出会ったのがライフセーバーだったようです。」 - のっぽくん
- その専門学校の授業で、レスキュー隊のビデオを見せられて“格好良い”と思い、ライフセーバーを志したそうですね。
- とき子さん
- 「それまでも人の役に立ちたいとは思っていたようです。しかし、その授業の講師だった小峰力先生(現・日本ライフセービング協会理事長)が、
『あなたの目の前で愛する人が助けられたら助けられますか?』という一言だったそうです。
その言葉に魅かれ、ライフセービング部に。ただ、そのときは泳ぐ仕事だとは思っていなかったようです。」
インタビュー目次
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