宮間あやプロフィール
1985年1月28日、千葉県大網白里町出身。 小学校1年生のとき、父が作ったチームでサッカーを始める。中学・高校時代は片道3時間半かけて名門、日テレ・ベレーザの練習に通って、MFとしてのテクニックを磨いた。高校卒業後、岡山湯郷ベレに入団。2008年、北京五輪にサッカー日本女子代表の中心選手として出場し、ベスト4に貢献した。2009年にアメリカ女子プロリーグのロサンゼルス・ソルに移籍してアシスト王に。
「アメリカ行きの決断」
- のっぽくん
- 自分がプロサッカー選手になると考えたのは、いつからですか?
- 宮間さん
「アメリカの女子プロリーグに入るまでは、考えたことがなかったです。高校卒業後、なでしこリーグの岡山湯郷ベレに入団しましたが、朝8時半から午後3時まで働いて、それからサッカーをしていましたからね」
- のっぽくん
- その岡山時代は、どんな仕事をされていたんですか?
- 宮間さん
「選手はいろいろな職場に振り分けられるんですけど、私は市役所のスポーツ振興課に配属されて、書類を作ったり、いわゆる事務職をしていました。公務員ではないんですが、彼らのお手伝いをするような仕事でした。あと、グラウンドにスポーツ振興課があったので、グラウンドのライン引きとかもやっていましたよ」
- のっぽくん
- アメリカ女子プロリーグのロサンゼルス・ソルからオファーを受けたときは、すぐに決断したんですか?
- 宮間さん
「いや、最初は全く行く気はなかったです」
- のっぽくん
- そうなんですか!?
- 宮間さん
「突然のことなので、自分自身もびっくりしちゃって。全然、身近に感じられなかったんですよね」
- のっぽくん
- どれくらいで決断したんですか?
- 宮間さん
「1ヵ月くらいです。どうしようかなぁと悩み続けて、いい加減答えを出さなきゃいけないときに、『行こう!』と思って(笑)」
- のっぽくん
- 海外生活は初めてでしたか?
- 宮間さん
「いや、中学校3年生のときに、アメリカのヒューストンに1週間、ホームステイしたんです。そのちょっと前に日本U16女子代表の遠征でヒューストンに行ったら、『ちょっとおいでよ』となりまして。そのときの経験が、サッカー選手としてアメリカに行ったときも生きたと思います」
インタビュー目次
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