川本大輔プロフィール
広島県広島市出身 1982年5月18日生まれ 身長 180cm 体重 75kg 父 163cm 母 160cm 姉 148cm
長嶋監督のもと、2001年ドラフト5位で読売巨人軍に入団。しかし、一年目に痛めたヒジ痛と闘いながら、一軍でのマウンドを目指して奮闘したが、2004年のオフに4年間在籍した巨人軍を自由契約になり、新たな活躍の場を求めてトライアウト(※)を受ける。
その結果、来シーズンの日本球界への復帰の道は断たれ、台湾プロ野球界へ進むことも視野に入れたが、現在は新たな活躍の場を求めて調整に励んでいる。
(※今までは、各球団が入団テストを行っていましたが、大きな球界再編が行われた2004年オフは、各球団での入団テストは行われず、12球団合同の入団テストとしてトライアウトが行われました。)
2004年12月19日放送、TBS「激動のプロ野球・クビを宣告された男たち~家族のために~」を偶然拝見しました。 そこには22歳にして、巨人軍を自由契約になり、家族のため、自分のために必死にトライアウトを受ける川本投手がいました。 ほんの一握りの人しか経験できない野球界の頂点でプレーし、4年間の現役生活を退いた川本投手。 まだあどけなさの残る川本投手ですが、さすがに厳しい世界を生きてきただけあって、非常に礼儀正しく、話していてとても気持ちのよい青年でした。2004年の大晦日、川本投手の原点ともいえる、地元の小学校のグラウンドでお話を伺いました。 |
- のっぽくん
- はじめまして。 テレビで川本投手の必死な姿を見て、どうしても話を伺ってみたいと思い、連絡させて頂きました。 今年は、巨人を自由契約になり、現役続行を求めて海外でのプレーも含め、いろいろ模索されましたね。 すべての面において、激動の一年だったのではないかと思うのですが、振り返ってみていかがですか?
- 川本さん
そうですね。 今までの人生で、経験したこともないような激動の一年でしたね。 ちょうど、年はじめに子供も生まれましたし、いろんなことがありすぎて、あっという間の一年でした。 ただ、巨人を自由契約になっていろいろ模索はしましたが、今までがうまく行き過ぎていた面もあるので、自分を見つめ直すいい機会になったと思います。
- のっぽくん
- 今後の進路は決まったのですか?
- 川本さん
いいえ。 野球が大好きですので、どうしても現役を続けたくて、トライアウトを受けたんですが、まだ決まっていません。 台湾の球団に行く話もあったんですが、最終的には話がまとまりませんでした。 ただ、自分には奥さんも息子もいますし、一人ではありませんので、そのへんも考えて進路は決めたいと思っています。
- のっぽくん
- 以前痛めたヒジの具合はいかがですか?
- 川本さん
投げられますし、そんなに悪くはありませんが、まだ万全の状態とは言えませんので、これがじっくり治すいい機会かもしれません。
- のっぽくん
- 個人的には、川本投手はまだ22歳と若いですし、体調を万全にして再度プロの世界にチャレンジしてもらいたいと思うんですが。
- 川本さん
そうですね。 自分自身も、本当に野球が大好きですので、チャレンジしていきたいという気持ちはあります。 ただ、中途半端にやっていたのでは成功できない世界ですし、家族のこともありますので、総合的にじっくり考えて決めたいと思います。 プレーを続けるにしても続けないにしても、なんらかの形で野球には関わっていきたいとは思っています。
- のっぽくん
- そうですね。 とにかく、自分が納得できる方向に進んでください。
- 川本さん
ありがとうございます。 こうして、いろいろな人とお話することによって、自分の視野も広がりますし、できるだけ客観的に、最後は自分自身で判断したいと思います。
- のっぽくん
- 世の中には、華やかに活躍する人もいれば、挫折を経験してもがき苦しんでいる人もいて、様々な立場の人がいます。 しかし、どんな立場においても、心の持ちよう一つで大きくその後が変わってくると思うんです。 スクスクのっぽくんは、子供たちの体の成長をサポートしていますが、本当は、どんな立場でも前向きに物事をとらえていくというような、子供たちの心の成長を一番お手伝いしたいと思っています。 ですので、栄光と挫折を経験しながら自分自身を磨いている川本投手の生の声を、こうしてお伝えできることは、とても意味のあることだと思っているんです。
- 川本さん
ありがとうございます。 全然、大した話はできませんし、自分自身のことで精一杯ですが、子供たちにとって何かのきっかけになってもらえれば、すごくうれしいことですね。
- のっぽくん
- スクスクのっぽくんには、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールなど、様々なスポーツで頑張っている子供たちから、多くのメールが入ってきます。上手くなりたいという子や、体を大きくしたいという子がほとんどなんですが、川本投手の場合、どんなふうにして野球を始めて、上手くなっていったんですか?
- 川本さん
そうですね。 野球を始めたのは、小学校1年生の時です。 本当は、サッカーをやりたかったんですが、地元のサッカーチームは4年生からしか入れなかったんです。 ある日、近所のおばさんに、「学校まで水筒持ってきて」って言われて、持っていったら、ちょうど野球チームの練習がやってたんです。 次の日には、なぜか家にユニホームがありました。 あとで聞いたら、僕の父親がどうしても野球をやらせたかったらしくて、裏で仕組んだみたいですね。(笑)
- のっぽくん
- はじめからピッチャーだったんですか?
- 川本さん
いいえ、当時は結構太っていたので、キャッチャーをやらされましたね。 デブの役目は、なぜかキャッチャーなんです。(笑) 小学校6年くらいから、ピッチャーもやり始めました。 野球が面白いから、真剣にやりはじめたら、だんだん痩せてきたんです。(笑)
- のっぽくん
- その後、中学校ではエースですよね。
- 川本さん
うーん、3年生で初めて背番号1番をもらったので、エースと呼べるのはそのあたりだけですかね。
- のっぽくん
- 小さい頃から、プロを目指していたんですか?
- 川本さん
はい、そうですね。 なぜかわからないですけど、小学校の頃から「絶対プロに行ける」と思ってたんです。何の根拠もない自信ですけど。 それがすごくよかったのかもしれませんね。
- のっぽくん
- 誰か、目標にしていた選手はいましたか?
- 川本さん
西武の西口投手です。 すごくやわらかくてしなやかなフォームから投げる速球に、とても憧れましたね。
- のっぽくん
- 川本投手も、しなやかなフォームから140km近い直球を投げ、中学では世界大会、高校では甲子園に行きましたね。
- 川本さん
その頃が野球を純粋に楽しむという意味では、一番楽しかったかもしれないですね。 全然緊張もしませんでしたし、何もかもが自分の思うようにいった気がします。 でも、プロに入ったら緊張しまくりました。
- のっぽくん
- それは、ジャイアンツの一員であるという重圧なんでしょうか?
- 川本さん
確かに、ジャイアンツという重みもありますし、プロとしてやっているということを過剰に意識してしまったのかもしれません。
- のっぽくん
- では、その野球が一番楽しかった頃の中で、一番記憶に残っている思い出は何ですか?
- 川本さん
高2の秋の中国大会・準決勝ですね。 その日は、山口県の南陽工業との対戦だったんですが、その試合で勝てば、甲子園出場が決まるので、みんなが本当に一丸となって臨んだ試合でした。 僕が投げたんですが、4-2で負けていて、8回に同点に追いついたんです。さらに、2アウト一塁で、チームメイトがレフトスタンド直撃のホームランを打ったんですが、そのボールがスタンドからはね返ってきて、審判がホームランとは認めてくれなかったんです。 それで、ホームランだと思って走っていたランナーが、ホームでタッチアウトになってしまって。 次の日に、審判は誤審だったと新聞上で認めたんですが、自分たちは悔しくて悔しくて、涙を流しながらその後を投げました。 自分たちにとっては、それだけ全てをかけた臨んだ試合だったんです。結果的に、延長戦の末、僕が決勝打を打ってチームは勝ったんですが、悔しい思いと、嬉しい思いがすごく詰まったこの試合は、自分にとっては一番の思い出です。
- のっぽくん
- なるほど。 勝ててよかったですね。 結果的に、川本投手の投打の活躍で勝ったわけですが、その自分の活躍よりも、チームメイトと一丸となって悔しい思いと嬉しい思いを経験できたということに重きを置いているというのは、川本投手らしいですね。
- 川本さん
そうですね。 本当に、みんなで甲子園に行きたくて、自分もサイドスローに変更したんです。上手投げで140kmを投げる投手は、県内に2~3人いますが、サイドから140kmを投げるピッチャーはいなかったからですね。それが甲子園への一番の近道だと思って、自分で変えたんです。
- のっぽくん
- そうだったんですか。 まさに、For the Teamであり、それが結果的に自分自身を高める結果になったんですね。 その後、プロに入ってからは緊張したとおっしゃっていましたが、振り返ってみてルーキーの年はいかがでしたか?
- 川本さん
一年目は、とにかく広島に帰りたかったですね。(笑) 一人で寂しいですし、東京の人は冷たいように感じたんで、広島の人の暖かさに触れたかったです。 実際に、一年目でヒジを痛めて、思うように練習することもできなかったですので、ストレスがそう感じさせたのかもしれないですね。 野球がしたくて仕方ないのに、走ってばかりで何もできない苦しさがありました。本当に苦しかったです。
- のっぽくん
- 今までで経験したことのない苦しい時期は、どのようにして自分の気持ちをコントロールしたんですか?
- 川本さん
その頃は、家でユニホームを見ながら涙を流してましたからね。 気持ちをコントロールするのはなかなか難しかったですけど、とにかく、高校時代の自分のいい時のピッチングビデオばかり見ていました。
- のっぽくん
- 自分の中でのイメージを高めるということですね。
- 川本さん
そうですね。 4年間で、残念ながら一軍で投げることはできませんでしたので、まだまだですが、常に頭の中には自分のいいイメージを思い描くようにはしていました。
- のっぽくん
- その4年間を終えて、このオフにトライアウトを受けましたね。 実際テレビで拝見させて頂きましたが、フォアボールも出したので川本投手が納得できるピッチングではなかったのではないですか? トライアウトを終えたときは、どんな心境でしたか?
- 川本さん
とにかく、奥さんに申し訳ないという気持ちがありました。 なんとかプロ野球選手として、合格したいと思ってましたので、トライアウトを終えたときは正直ほっとしました。 完璧ではなかったですが、少しだけ手ごたえはあったんです。 つい最近まで、台湾の球団と交渉をしていたんですが、結局行けないことになってしまって、かなり精神的に落ち込みましたが、時間が経つにつれて、今では驚くほど冷静になっています。
- のっぽくん
- 息子さんである硫生くんの存在が大きいとおっしゃっていましたが。
- 川本さん
そうですね。 息子のためにも自分が頑張らなきゃいけないですから。 父親らしいところを見せたいですしね。 息子が生まれてからは、考え方が180度変わりました。 車に乗っていても、ブレーキの踏み方や、クラクションの鳴らし方まで、息子にとってはどんな影響があるのだろうと自然に考えるようになるんです。一人のときは、考えもしなかったですけどね。
- のっぽくん
- なるほど。 家族の存在が、自分自身を高め、それをさらに家族に還元していくといういい循環ができているのかもしれないですね。。 息子さんのためにも、奥さんのためにも、そして自分自身のためにも、悔いの残らないよう頑張ってください!
- 川本さん
ありがとうございます。
- のっぽくん
- では、川本選手の小さい頃の成長に関してお伺いしたいのですが、お父様が163cmで、お母様が160cmというと、そんなに高いほうではないですよね。
- 川本さん
そうですね。 姉も148cmくらいなんで、自分だけ180cmと高いですね。
- のっぽくん
- いつ頃からグンと伸びたんですか?
- 川本さん
小学校6年生くらいです。 その当時は太っていたんですが、野球が本当に面白くなってきて、夢中で練習していたら、だんだん痩せてきたんです。 その頃からグンと伸びましたね。
- のっぽくん
- そうなんですか。 実際、太っている子供は、太ったまま成長すると、骨端線が固まる時期が早くなってしまうと言われているので、小学生くらいは大きいほうなんですが、最終的にはみんなに抜かされて比較的小さい身長になってしまいがちなんです。 川本投手の場合は、痩せるし、背は伸びるし、野球はうまくなるし、多くの意味で転換期になったんですね。 骨端線が成長して身長が伸びるためには、睡眠・栄養・運動の3つがバランスよくとれることが最も大切なんですが、川本投手の場合はいかがでしたか?
- 川本さん
確かに、寝ることは大好きです。 眠りもとても深くて、阪神大震災の時も起きなかったからですね。(笑) あのときは、かなり揺れたらしくて、蛍光灯が落っこちてましたからね。(笑) 睡眠時間も十分ですが、熟睡もかなり十分です。
- のっぽくん
- やっぱり、大物の証ですね。 普通は起きます。(笑)栄養の面はどうですか?
- 川本さん
すごく食べますよ。 好き嫌いもありませんし。 ただ、肉はそんなに食べないほうです。 焼肉行っても、カルビよりも、ミノとかホルモンとか、親父くさいものばっかり食べてます。(笑) どちらかというと、肉よりは魚のほうが好きですね。
- のっぽくん
- なるほど。 カルビはあまり食べなくても、タンパク質は十分とれてたんですね。(笑) 運動は、言うまでもないですよね。
- 川本さん
そうですね。 毎日やってましたけど、そんなに死にそうなくらい厳しい練習だったわけではなく、自分でいろいろ考えながらやってましたので、それがよかったのかもしれないです。
- のっぽくん
- そうですか。 それだけ、バランスのいい生活を送ってきたからこそ、両親の身長はそんなに高くないにもかかわらず、180cmまで伸びたんですね。 スクスクのっぽくんを見ている人たちにとっては、とてもいい情報です。 ありがとうございます。 先ほども言いましたが、実際にスクスクのっぽくんを見てくれている子供たちの中には、スポーツをやっていて、川本投手のように上手くなりたい人がたくさんいます。何か、アドバイスはありますか?
- 川本さん
そうですね。 アドバイスというほどのものでもないですけど、まずは好きなことを追求してもらいたいですね。好きなことが見つかれば、あとは自分の意識を高めることです。 一つは、僕自身も、ずっとプロ野球選手になれると思い込んで練習していましたが、そういった目標を信じることはとても大切だと思います。何事も無理だと思ってやっては、いい結果は生まれないですからね。 もう一つは、自分自身の中に明確なイメージを創ることです。 こういうふうに投げる、こういうふうに撃つという、なるべく具体的なイメージを、何度も繰り返しビデオや本やいろいろなものを見て創りあげるんです。 僕自身も、高校の途中まではやらされてやっていた練習だったんですが、途中からイメージを意識するようになって、2倍も3倍も伸びたような気がします。
- のっぽくん
- なるほど。 川本投手が大切にする、意識やイメージの力は、イチロー選手やサッカーの中田選手のような有名な選手たちも必ず口にします。 練習一つに関しても、意識によって結果が全然変わってくる。 やはり、重要なのは何をやっているかではなく、どういう意識で取り組んでいるかなんですね。すごくためになるお話、ありがとうございます。 では、今までこうしておけばよかったと思うようなことはありますか?
- 川本さん
その意識に早く気付きたかったですね。 高校のときに、もっと早く気付いて練習していれば、ずっとよくなっていたかもしれません。でも、今はそれに気付けただけでも、ラッキーだと思います。
- のっぽくん
- 確かに、意識で全然結果が変わってくることはわかっていますので、どれだけ早く気付けるかが大切なんですね。 最後に、今はまだ、今後どういった進路になるかわかりませんが、将来的な目標はありますか?
- 川本さん
そうですね。 まだ、野球選手としてやるのか、やらないのかもはっきりしていませんが、将来的には、自分を育ててくれた野球を、子供たちに教えられればいいなぁと思います。 僕、高校の時の中井監督を、めちゃめちゃ尊敬しているんですよ。 とても厳しい監督でしたけど、「野球が上手くなりたかったら、まずは人間を磨け」という指導方針の下で育ててもらいました。自分の意識を変えてくれたのは中井監督だったので、中井監督がいなければ、今の自分はありません。 監督は休養していたんですが、今年は復帰するようなので、何かお手伝いしたいと思っています。将来的には自分も、人間的にも技術的にも、素晴らしい選手を育てることができたらいいなと思います。その過程で、自分自身も勉強していければ最高ですね。
- のっぽくん
- なるほど。 シダックスの野村監督も、野球を辞めたあとの人生のほうが長いのだから、野球人として以前に、一社会人として人間性を高めていかなければいけないというようなことをおっしゃっていましたが、まさに意識を高めることによって人間性が高まり、技術も向上するという流れなんですね。 将来的には、川本監督として、今まで培ってきたものを多くの子供たちに還元してもらえることを期待しています。 まずは、今後どういう道を進むかという決断があると思いますが、今日伺った川本投手の考え方をもってすれば、どのような道を通っても、必ずやいい方向に進むと確信しております。 川本一家の益々の発展を祈っておりますので、頑張ってくださいね。 今日は、とても刺激的な話をありがとうございました。
- 川本さん
こちらこそ、ありがとうございました。
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