海外に約1年留学して現在大学5年生。小学校低学年の時に海外のアニメを放送するカートゥンネットワークに夢中になり英語に興味を持ち、以来一貫して英語が大好きで海外に関わる仕事をしたいと日本の大手自動車メーカーの海外マーケティング部門に就職を決めた。
学校外活動では非営利団体IAESTEに所属し、海外留学生のサポートや企業とのマッチング、イベント企画などを行う。また、ワールドカップを前にサッカーに興味を持ち、友人とフットサルを始め女性のフットサルクラブ「ウルボ」に参加するなどアクティブな行動派。
学校外活動では非営利団体IAESTEに所属し、海外留学生のサポートや企業とのマッチング、イベント企画などを行う。また、ワールドカップを前にサッカーに興味を持ち、友人とフットサルを始め女性のフットサルクラブ「ウルボ」に参加するなどアクティブな行動派。
小学校2,3年生の頃から見始めたカートゥンネットワーク(海外のアニメばかりを放送し続ける有料チャンネル)で放送されていたサムライジャックに夢中になり、海外から見る日本の姿が日本ではなくまるで中国のようだったりすることに衝撃を受け、外国に興味を持つ。それがきっかけで他の海外アニメも見るようになり、エンディングに流れる英語の曲にも夢中になった。小学校の授業では先生に、英語でなんというか知らない日本語が出てくると授業とはまったく関係ないのに臆さずその都度質問していたというマイペースな一面も。そんななか、4年生になった頃、先生が自分の英語力ではこれ以上に質問に答えられないと感じ、両親に英語を習わせることを進めた。実は幼稚園の頃、英語教室に通ったことがあるが、外国人の先生が怖くて一度で辞めてしまった過去があることからお母さんはその先生の言葉に驚いたが、すぐに英会話教室へ通わせることにした。週1度行っていた教室はその後、大学に入るまでずっと続けることになる。さらに当時世界中でブームになっていたハリーポッターに夢中になり、イギリス英語の格好よさに気づきさらに英語が好きになっていった。そんな流れから自然と高校、大学への進学の道は決まった。
英語がとにかく大好きで、座学にも興味津々。単語の法則などを知る度に興奮してどんどんのめり込んでいった。海外アニメも引き続き見続け、中学時代には英語の曲の大体の意味が分かるようになり、学校の英語の授業で褒められたりもしてどんどん自信をつけていった。ただし、あまり目立つと周りからひがまれたりすることも考え、目立たないようにもしていたという。中学受験をし英語教育に力を入れていた中高一貫の私立のミッションスクールに入学。「当時通っていた小学校も通う予定だった中学校も荒れていて、違う学校に行きたくなったという理由もあります。小学校で受験したのは私ひとりだけでした」。
特に塾には通わず、毎日の勉強も宿題程度しかしていなかったが成績はよかった。中学受験のために塾に通うようになったのは6年生の秋。中学に入ってからは周りのレベルが高いことに驚き、コンスタントに予習復習を週3,4日、1,2時間程度行うようになった。科目では英語が一番好きで、他には社会なども好きだったそう。特に苦手な科目もなかったが数学はちょっと嫌いだったとか。部活はソフトテニス部に所属し毎日4時間程度練習していた。毎日4時間と聞くととてもハードな印象だが、部活はほんわかした雰囲気で楽しみながら続けていたという。週1度の英会話塾と毎日の部活、そして週3,4日、1,2時間程度予習復習するというペースは高校一年生まで続いた。高校二年生になるとそろそろ大学受験を目指して先生から指導が入った。夏休みには学校で夏期講習があり、1週間程度9時~18時までお弁当を持って行って受験対策の授業が行われた。それ以外では通信制の学習塾に夏から通い始めたが、DVDを見るだけで質問をしても答えてくれるわけではないというスタイルはイマイチ合わずにそのうち自習をするための場所になっていった。18時頃に部活が終わるとその後、東進に行き、1,2時間勉強し家に帰る、というのが当時の勉強スタイル。帰ってからはご飯を食べ、夜22時か23時には就寝していた。すごくマイペースだったが、その頃から英語が得意だったこともあり、わりと楽観的に考えていたそう。高二の冬には赤本を買って問題を解いたりもしていたが、まだ特に心配もしていなかった。
高校三年生の時には学校の授業形態も変わり、部活も引退したので、今まで部活をしていた時間がそのまま勉強時間に割り当てられた。学校が終わると通信制の学習塾に行き、自習をして20時ころ帰宅。23時か24時には寝ていた。他には苦手だった日本史対策のために春から週2~3日家庭教師がついた。その後上智大学の公募推薦を目指すことになり、その条件であるTOEIC730点以上に対し815点取れていたことに「良かった!」と一安心したものの、試験当日は筆記試験と小論文、面接が行われた時には、かなり緊張して臨んだそう。
- 週3,4日1,2時間程度の勉強時間。変わらず週1度、英会話塾に通っていた。ソフトテニスにかける時間の方が勉強時間よりも多かった。
- 通信制の学習塾に行き始めるが勉強時間はさして変わらず。漠然と海外留学がある上智大学か早稲田大学に行きたいなと思い始める。週1度の英会話塾。ソフトテニス部の活動も変わらず。
- 春から日本史対策の家庭教師が週2~3日来る。部活から引退し、部活の時間がそのまま勉強時間に。一日6時間程度勉強していた。
自分の部屋では勉強することができず、いつも居間で勉強をしていた。お母さんから「そこにいるとお喋りできないし落ち着かないから自分の部屋で勉強しなさい」と言われても「おかまいなくー」と居間で勉強していた。医者であるお父さんは自分も居間で勉強するタイプだったようで、構わずTVを見たり話したりしていたそう。人が話す声が聞こえている位がちょうどよく集中できたのだとか。本格的に受験勉強を始めてから通信制の学習塾が自主勉強場所になったが、それは周りに意識の高い人が多くて刺激になったことや静かな話し声が聞こえたりするのもちょうどよかったから。勉強している間に集中が途切れたりモチベーションが下がることはあまりなかったそう。
中学校時代からはまっていたのはカラフルに可愛くノートをとること。様々な色を使って綺麗にまとまっているノートを見るとモチベーションが上がって楽しく勉強できたのだとか。今でも綺麗にノートを書くことは好き。
ネットで合格発表があり、お母さんがドキドキしながらチェックしてくれた。メールで合格を知らせてくれた時は授業中。喜びのあまり授業が終わった後、本当は携帯電話の持込は禁止なのに職員室に駆け込み「メールがきました!合格してましたー!」と先生に報告した。先生もとても喜んでくれ携帯電話持込のお咎めはなかったそう。友達に報告すると、すごく喜んでくれて泣きだす友人もいた。2月に合格が決り時期が早かったこともあり、まだ受験を控えているクラスメイトのことも配慮してその後の学校生活を送った。週1度の英会話塾は相変わらず続けていて、英検準1級合格を目指して頑張った。
カナダのケベック州における独立問題を学び、興味を持ち1年間カナダのアルバータ大学に留学した。学生寮に住み、様々な国籍の学生と共同生活を経験するなかで、日本人の積極性のなさを痛感したという。「普段の雑談ベースからディスカッションの場においても自分に意見があってもなかなか言えないという日本人が多くて。私もその一人でした。でも言わなきゃ自分のアイデンティティを伝えることはできないし、一生懸命努力して発言するようにしていました。英語圏の人たちの会話のスピードはとっても速いですし、聞き取りも難しくて勉強勉強の毎日でしたね」。国際交流を図る中で日本食は大好評だった。「ご飯はみんな自分たちで自炊していてpotluckという持ち寄りパーティを開くんですが、そこで和食は大人気でドイツ人やブラジル人、シンガポール人などなど仲の良かった友達はみんな大好きでした。肉じゃがとコロッケはレシピを聞かれたほどです(笑)」。楽しい文化交流を行いながら過ごした留学生活の中で、日本製品の素晴らしさにも気づかされた。「ずいぶん昔の日本のメーカーのアイロンが寮で使われていたのですが、変わらない質の高さで本当にすごいなと思ったんです。他でも様々はシーンで昔の日本メーカーの製品は変わらず活用されていて本当に誇りに思いました」。そんな体験から日本の大手自動車メーカーの海外マーケティングを行う部署に内定が決まった。将来の夢は仕事では世界に自社の製品を広め、自分のアイディアを活かした商品を作ること!女性としての夢は仕事と家庭を両立する素敵な人間になること、とキラキラ笑顔で語ってくれた。
爽やかな天気の良い昼時、上智大学のテラスでニコニコ楽しそうに話をしてくれました。おっとりマイペースで、過去のことをゆっくり思い出しながら和気あいあいと時間が過ぎて行きました。質問に一生懸命答えてくれる姿は初々しくすっかりスタッフ一同ファンになってしまいました。ナショナルメーカーに就職を決め、将来は子どもを産み仕事と家庭を両立させていきたいという重信さん。将来が楽しみです!
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