ハンドボール全日本代表・宮崎大輔選手が父親から学んだ事:スクスクのっぽくん
TOPページ » プロフェッショナルに聞く!生きる力の育て方! » ハンドボール全日本代表 宮崎大輔さん » ハンドボール全日本代表・宮崎大輔選手が父親から学んだ事

プロに聞く! 宮崎大輔プロフィール

宮崎大輔 175cm、73kg 1981年 大分県大分市生まれ。 1989年 ハンドボールを始める。 1997年 大分国際情報高等学校入学。高2から2年連続でインターハイ得点王に輝く。 2000年 日本体育大学入学。 2001年 大学を休学してスペインに留学。 2003年 大学を中退して、大崎電気に入部。全日本実業団選手権の新人賞獲得。アテネ五輪予選出場。 2005年 世界選手権出場。 2006年 スポーツマNo1.決定戦で優勝。 2007年 北京五輪アジア予選に出場。 2008年 スポーツマンNo1.決定戦で優勝。北京五輪アジア予選再試合に出場。 2009年 スポーツマンNo1.決定戦で優勝。史上初の2連覇。4月にスペインのクラブの入団テストを受けるために渡欧。全日本のエースとしても活躍中。

父親から叩き込まれたNo.1の哲学

宮崎さんといえば、人気番組『スポーツマンNo.1決定戦』を思い出す人も多いはずです。今年は史上初の2連覇を果たし、これで優勝は計3回になりました。子供時代からどんなスポーツでも得意だったんですか?

「走ることに関しては、負けたことがなかったですね。今、僕の30メートル走の記録は3秒62。一般的に30メートル走は馴染みがないかもしれませんが、普通の人なら4秒台で、速い人で3秒80くらいの数字。とにかく足だけは速かったです」

宮崎大輔
鈴木伸彦氏と対談する宮崎大輔さん

『スポーツマンNo.1決定戦』では、走るだけでなく、跳ぶことも、投げることも求められます。いったいなぜ、こんなにたくさんの能力を身につけられたと思いますか?

「父親の影響が強いと思います。うちのオヤジの教えは、『何でも1番になって帰ってこい』というものでした。だから自然と僕は、大の負けず嫌いになった。たとえば縄跳び大会があったときに、勝てないと思ったら、隠れてひとりで練習をやりました。2重跳びをどれだけ続けられるかという大会で、失敗した人から座っていくんですが、僕は4年生のときに全校で1位になりました。5、6年生に勝ったんだから、それは快感でしたよ。他にもドッジボールの大会でも、常に1番になってやろうと思ってやっていました」

それが何でもできるようになった秘訣なんですね。

「たとえば縄跳びだったら、瞬発系の筋力が鍛えられたと思うんです。今でもたまに縄跳びをするくらいですよ」

自分の子供にもいろいろやらせたいですか?

「スポーツに限らず、いろいろ経験させたいですね。どんなことでも一生懸命やることが、子供にとっていい経験になると思う。最終的には子供が自分で道を切り開いていくべきだと思いますが、そのときに一番大切なのは中途半端ではなく全力でやること。一生懸命やるからこそ経験になるし、そこで工夫してアレンジすることが自分のためにもなる。うちのオヤジの言葉には、よく食べて、よく寝て、よく遊んでと、つねに『よく』がついていました。何事にも全力。僕は子供のときから、それが一番かっこいいと思っていました」

インタビュー目次

おすすめインタビューBEST5

「プロに聞く!」インタビュー記事一覧に戻る

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る
私たちがサポートしています!
成長・発達の専門家
  • 医学博士
    医学博士
    小川登志子
  • 管理栄養士
    管理栄養士
    磯村優貴恵
  • 睡眠改善インストラクター
    睡眠改善
    インストラクター

    鈴木伸彦
  • パーソナルトレーナー
    パーソナルトレーナー
    小澤康祐
お話を伺った方々
  • 岩崎恭子さん
    オリンピック金メダリスト
    岩崎恭子さん
  • 宮間あやさん
    サッカー日本女子代表
    宮間あやさん
  • 佐藤弘道さん
    体操のお兄さん
    佐藤弘道さん
  • 杉山芙沙子さん
    杉山愛の母
    杉山芙沙子さん
  • 小錦八十吉さん
    元大関
    小錦八十吉さん
  • 福西崇史さん
    サッカーW杯日本代表
    福西崇史さん
  • 宮崎大輔さん
    ハンドボール全日本代表
    宮崎大輔さん
  • 俵万智さん
    歌人
    俵万智さん

トップに戻る