立花美哉さんの子ども時代:スクスクのっぽくん

プロに聞く! 立花美哉プロフィール

1974年 京都府出身 1978年 水泳を始める 1998年 世界選手権デュエット・チーム2位 ソロ3位 2000年 シドニーオリンピック デュエット・チーム銀メダル 2001年 世界水泳 デュエット・チーム金メダル 2004年 アテネオリンピック デュエット・チーム銀メダル 現在現役を引退し、アメリカで指導者として勉強を重ねている

夢中になれるものを探す

両親と祖母、6つ上の姉の5人で暮らしてきた美哉さんは、とてもおとなしい子だったという。

当時住んでいたのは、京都市の岩倉。地球温暖化防止のための『京都議定書』が採決された国際会議場の近くだったという。子育てには良さそうな環境と思われるが。

立花美哉さんのお母様

「あの辺りは道が広くて、あのころは暴走族がとても多かったんです。それで、あまり子供を育てるのにはいい環境ではないと思ったんですね。ですから美哉が小学生のときに、今の場所に引っ越してきたんです」

約30年前。学校が荒れ始めた時期で親としては誰もが不安な状況だったという。

「実際に中学校に行くと、窓ガラスが割られていたり、備品が壊されたりしていました。娘をそういった環境におくには、やはり抵抗がありました。そこで、何か夢中になれるものを見つけて、回避できたらと思ったんです。過保護かもしれませんが、特に子供が小さいときは、そのきっかけを作るのは親だと思うんです。周りの方も、子供にいろんなことをやらせようとしていましたね。ですから、みんなで誘い合っていろんなことを試しました。好きなことが見つかり、それに没頭してくれればいいと思っていました」

子供のやりたいことを見つけ、それに集中させようとした綾子さん。

「とにかく色々やりましたね。ピアノ、公文、クラシックバレーなどですね。誘うときは『幼稚園の友達も行っているからやってみない?』と。小さいときですから、子供もなんとなく付いてきていましたね」

シンクロを始めるきっかけにもなった水泳もその中の一つだったという。

「水泳を始めてやらせたのは、年長のとき。水泳教室の夏期講習に行ってみたんです。それが、将来シンクロをやることにもつながるんですが」

色々やってきた習い事は短いものでは、一ヶ月しかやらなかったものもあるという。その中で、水泳を続けたのはなぜだろうか。

「本人が興味を示すことが大事なことだと思っていました。それが、たまたま水泳だったわけです。姉の場合は、読書や茶道など文系のものに興味を示していましたし」

では、子供が興味を持つかどうかは、どこで見分けていたのだろうか。

「それは子供を見ていればわかると思います。まず顔が違いますから。水泳をやっているときは、明るく笑ってとても楽しそうにしていました。家を出るときでも、興味のあるものならルンルンしながらいきますが、そうでなければグズグズするし。好きなことは自分からやるし、嫌いなことは言われてやりますよね」

ちゃんと子供の様子を見ていないとわからないことだ。オリンピックのメダリストにまで成長した美哉さんの原点は、綾子さんが美哉さんをしっかりと見るということであった。

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