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冒険家 大場満郎さんに聞く“生きる力”の育て方

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

子供に自然と触れ合う機会を持たせたいと思う親は多い。しかし、都会では難しい。

北極、南極単独徒歩横断に成功した、冒険家の大場満郎さんは子供たちに、田植え・犬ゾリ体験など自然と触れ合う機会を提供しつづける『アースアカデミー大場満郎冒険学校』を設立した。大場満郎さんにお話を伺いに行ってみた。

プロフィール

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん
☆★大場満郎(おおばみつろう)★☆★☆★☆★☆★

1953年 山形県最上町で農家の長男として生まれ、29歳まで農業に従事。
冒険旅行を兼ねてアマゾン河6000kmを筏で下り、その後世界で初めて、北極・南極 両極単独歩行横断を果たした。
1999年 植村直己冒険賞 受賞
2001年 夢だった「アースアカデミー・大場満郎冒険学校」スタート。
現在も、子供たちに人間本来の豊かな生き方を提案し続けている。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

bar

草原の中の”冒険学校”』 

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 東京駅から東北新幹線で2時間、途中JR陸羽東線に乗り次ぐ。
 車窓にはブナや松の木々、高さ10mはある杉などが生い茂る原
 生林が広がる。

 車内で賑やかにしてるのは、リュックを背負った温泉目当ての
 年配女性の旅行者たちが、15人ほどのグループ。“奥の細道湯
 煙ライン”の愛称の通り、陸羽東線は鳴子温泉・川渡温泉・中
 山平温泉などの名湯・秘湯を通過していく。

 硫黄の匂いを感じつつ、湯気を立ち上らせている町並みを横目
 に、揺られること約90分、JR最上駅に到着した。


 古い駅舎を出ると、隣に公民館、前には八百屋兼洋服屋と酒屋
 兼本屋の2件。年配者が数人歩き、駅前なのに車は1分間に2
 〜3台通る程度。のどかな最上町ではスーツ姿は少し浮いてい
 るようだ。

 タクシーで『大場満郎冒険学校』に。民家の多い駅前から5分
 も走ると、野球場が10面は取れそうな草原が続き、牛が放牧さ
 れている。タクシーはそんな草原をさらに5分ほど走り『大場
 満郎冒険学校』に到着した。


 『大場満郎冒険学校』は、『前森高原アウトドアエリア』とい
 う広大な屋外レジャースポットの一角にある。周囲には、乗馬
 体験・ふれあい陶芸・キャンプ場などがある。

 その外観はスキー場のロッジそのもの。豪雪地帯特有の、2m 
 ほどの高さのコンクリートの土台があり、赤茶色に塗られた木
 製の外壁に緑色の屋根、鉄筋二階建ての建物が『大場満郎冒険
 学校』だ。

 訪れた日は快晴で気温は27℃くらい。爽やかな草の匂いを含ん
 だ風が吹きぬける。スーツでは少し暑いが、湿度が少ないため
 快適。建物の隣には、犬小屋があり、ハスキー犬や北海道犬な
 ど10頭の大型犬が、人懐っこそうに出迎えてくれる。冬場には
 ソリを引っ張ってくれる犬たちだ。童心に返ったような気分で、
 冒険学校にお邪魔した。

 建物の中に入ると、身長は165cm前後、赤いTシャツの袖から覗
 く腕は太く、決して太っているわけではないが、がっちりした
 体格、髪こそ白いものの声も張りがあるおじさんが出迎えてく
 れた。
 「大場満郎さんだ!」
 やわらかい物腰で「遠いところからようこそ」と白い歯を見せ
 た。

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 お話を聞く前に、大場さんの案内で建物の中を見学させてもら
 うことにした。まず目に付くのが玄関を入った所にある黄色い
 テント。2〜3人が寝れそうな大きさだが、よく見ると、一面
 が大きく切り裂かれたように破れている。北極で寝てるときに
 白熊にやぶられたという。(笑顔で話しているが、聞いている
 こっちがハラハラしてしまう)

 床には熊の足型で順路が書いてある。順路に沿って二階に上が
 ると展示室があり、今までの大場さんの冒険の軌跡を見ること
 ができる。さきほど入ってきた玄関部分は、吹き抜けになって
 いて、上にパラシュートがぶら下がっていた。雪の上の冒険で
 は、スキーを履き、このパラシュートで風を受けて進むことも
 あったらしい。

 ずらりと並ぶ賞状、厳しい環境で酷使されてきた道具、真っ白
 な大地で一人進んでいる写真を見ていると、俄然、大場さんに
 興味が湧く。
 この人はどんな生き方をして、どんな思いで冒険学校を開いた
 のだろうか・・・


人生を変えた出会い

 最後の鷹匠』

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 冒険家・大場満郎さんの原点は、名湯・赤倉温泉や、清流・絹
 出川が流れる、この山形県最上町。夏は鮎釣りやキャンプ、冬
 はスキーが楽しめる、自然豊かな人口一万人ほどの小さな町で
 彼はどんな少年時代を過ごしたのだろうか。
 大場さんが感傷に浸るように思い出を語ってくれた。

 「生まれも育ちも、この最上町で、両親、祖父母、姉と弟の7
 人家族でした。この辺は、ほとんどの人が農家で、うちもやっ
 ぱり農業に携わっていて“家の手伝いをしていればそれで良い”
 という環境でした。

 ところが冬になるとこの地域は、2mほどの積雪がある豪雪地
 帯で、とても農業はできません。農家の人は、車や農機具、家
 などで、かなり借金をしていて、夏場の農業だけでは生活でき
 ないから、働き手の男はみんな雪が積もると都会の方に出稼ぎ
 に行くのが当たり前でした」


 普通の農家に生まれた大場さんが、冒険家を目指したのには、
 一つの出会いがあった。

 「中学2年のとき、同じ最上郡の真室川町に住んで、鷹匠をし
 ていた沓沢朝治さんという“じっちゃん”に会いました。鷹を
 操りウサギやタヌキを狩る生活を見て“自分もこうしたい”と
 憧れたんです」

 人生を左右する出会い。
 『老人と鷹』というカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した作
 品のモデルにもなった、日本最後の鷹匠・沓沢朝治さんから何
 を感じたのだろうか?

 「沓沢さんの、やりたいことをして、目を輝かせている生活が、
 すごく楽しそうで、“俺もこんな風に、自由に生きてみたい”
 と。中学2年の多感な時期だから、そんな生き方が素直に心に
 入ってくるんです。“生きる”というのは、本当はこういう事
 なんだと思い、それ以来、周りのやっていることが全部嘘っぱ
 ちに見えてきました。その一つが、冬になるとみんな行きたく
 もないのに家を離れ、都会に出稼ぎに行く生活でした。

 その後、俺も何年かは親父と一緒に出稼ぎに行きましたが、や
 はり沓沢さんのような自由な生活が忘れられませんでした。
 ただ、出稼ぎに行きたくないと言っても、それと同じくらい家
 にお金を入れなくては、誰も認めてくれません。そこで無添加
 のエサでニワトリを育てて、安全な卵を売る養鶏場をはじめた
 んです。その商売はなんとか成功したのですが…」


 理想の暮らしを手にしたように見えた大場さん。しかし、そこ
 から日本独特の閉鎖的な村社会が大きな壁となった。

 「俺のように、変わったことやると、周りに叩かれてしまう時
 代。みんな自分を押し殺して生きる “恥の文化”が、村には
 あったんです。自分だけが成功するのではなく、俺はみんなが
 堂々と生きていける村にしたかった。きっとその方が面白いと
 思ったんです。

 しかし、そこで家族や社会の考えとズレが大きくなってきまし
 た。出稼ぎも行かず、周りの人と違うことをしている。自分で
 考えてやっていることだけど、なかなか周囲の人には、認めて
 もらえません。自分の考えに正直に生きようとしていたから、
 そこで衝突したんです。

 それで、親族会議の末、29歳で村を飛び出すことに。こんな閉
 鎖的な村にいて、白い目で見られるよりも、世界の色んな人の
 生き方を見て、自分の今後を決めようと思いました。それが冒
 険の始まりです」

 ついに、故郷を飛び出してしまった大場さん。



『 アマゾンで触れた人たちが教えてくれた

人間のたくましさと、暖かさ 』

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 世界を見てみたいと、日本を飛び出した大場満郎さん。
 まず彼が向かったのは、流域面積世界一を誇るアマゾン河。
 6000kmを筏で下りながら、その地域に住む人たちの実情を知る
 旅だったという。

 「帰る家はない、故郷の水も飲めない、親にも友達にも会えな
 い──。そう決意したとはいえ、とてつもなく寂しいことでし
 た。途中、ニューヨークに立ち寄ったときも“お前は世界一、
 寂しそうな顔をしている”と言われました。

 そんなときに“自分の気持ちに正直に生きないと、最後に笑っ
 て死ねない。”と言っていた鷹匠の沓沢朝治さんを思い出した
 んです。

 地球の大きさを肌で感じ、自分の存在意義を見つけ、自分なり
 の生き方をして、最後までニコニコ笑って、目を輝かせて死ん
 で行きたい──。だからこそ、日本を飛び出して、自分の心の
 声に素直に従い、後悔のない人生を送るんだと言い聞かせまし
 た」

 今もなお、中学生のときの出会った沓沢さんの言葉が胸に響く。
 その出会いがなければ、冒険家の自分はなかったという。世界
 中の色んな“生き方”を見ようとした大場さんは、アマゾンで
 何を感じ取ったのだろうか。


 「雨季と乾季で水面が10mも違う苛酷な環境の中で、みんな元
 気に生きている。しかも、一旅行者の自分を快く受け入れてく
 れ、人間の強さ、優しさを感じました。

 しかも、常識に縛られず自由に生きているんです。タロイモや
 ココナッツが自生し、川には魚があふれている。だからあくせ
 く働かなくても平気。不自由な生活をしているけど、みんな目
 を輝かせている。日本のようにお金や風習にまったく縛られて
 いない。“こんな生き方はいいなぁ”と素直に思いました」

 色々なことを肌で感じる、何事にも変えがたい“財産”。過酷
 と思われた場所で、いきいきと生きている人間の強さ、素晴ら
 しさを知った大場さん。その“財産”を増やすため旅を続けた。


 「アマゾンに住む人たちのたくましさを見ることができました。
 では厳しいところで暮らす人たちは、どんな生活をしているの
 か。もっと色んな所に行ってみたいと思いました。それで、北
 極圏に住むイヌイット(エスキモー)に会いたいと思ったんで
 す」

 大場さんは、本当に純粋だ。
 心の声に耳を傾け、それを行動にうつしている。
 いや、うつさないと気がすまないようだ。



『 冒険学校という夢が見えた

 植村直己さんとの出会い 』

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 アマゾンで人間の“大きさ”“強さ”を痛感した大場満郎さん
 が次に向かったのは極寒の地・グリーンランド。
 85年のことだった

 「67日間、1400kmを歩き、世界最北の村、シオラパルクに到着
 しました。そこに住むイヌイット(エスキモー)は魚やアザラ
 シを獲る狩猟民族で、その生活は、取ったものを一切無駄にせ
 ず、大量に取って売るようなことは無いので、資源が枯渇しな
 い。みんなで協力する昔からの暮らしが残っていました。

 ただ、そんなところにも、資本主義の格差が生まれつつありま
 した。というのも世界最北ということで、メディアや観光客が
 殺到し、村唯一の移動手段の犬ぞりのレンタル料を吊り上げた
 りする人が出てきたのです。すると、今までのような生活が、
 一気に崩れてしまう。村の一部の人もそれを懸念していました。
 お金のある生活がいいことなのか、悪いことなのか、はたして
 幸せなのか、どうなのか……。とても考えさせられました」


 大場さんが、その後、北極、南極への旅を続けた理由──。そ
 こには、人間はどうやって生きるべきなのか、という自問への
 答えを探す旅だったのかもしれない。
 また、その旅を続けながら、大きな夢を描き出してもいた。き
 っかけは、あの偉大な冒険家・植村直己さんとの出会いだった。

 「植村さんは厳しい環境を旅する冒険家ということで、共感す
 ること、また先輩とし教わることも多く、尊敬していました。
 その植村さんの夢が冒険学校を開くことだと聞いていたんです。
 自分の今までの経験を次の世代に残したいという、植村さんの
 強い思いに、非常に感銘を受けていました。
 そんな植村さんが、志なかばで、亡くなってしまったのは、そ
 の後の人生を決めてくれたようなものです」

 世界的な冒険家・植村直己さんが、北米最高峰マッキンレーで
 遭難したことは、大場さんにとって、自分の道を決定づけた、
 出来事だった。
 植村直己の遺志──は、それだけ大場さんの心に響いていた。


 「北極圏単独徒歩横断は本当に死とすれすれの旅でした。もう
 あきらめよう、自分には無理だと、何度となく思ったことも。
 でも、ここで誰も成功したことのない“両極単独徒歩横断”を
 やり遂げ、自分で実際に見てきたこと、そして人間の大きさ、
 さらには“人間らしく生きる”ということを次の世代に伝えた
 いと思い、なんとか、4度目の挑戦でやっと北極圏横断に成功
 することができたんです。
 いつしか、植村さんの夢は、自分の夢にもなっていたんです」


 世界初の両極単独歩行横断に成功した大場さんは、2001年、生
 まれた最上町に戻り、町の施設を借りて冒険学校を始めた。


『 人や自然、動物と共に成長できる場所 』

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 「多感な時期にどんな経験をするかで、将来が大きく変わるこ
 とがあります。美しい景色を見る、おいしいものを食べる、と
 きには痛い思いもする。そういった、出会いや経験が、人間に
 は必要なんです。

 この学校では、自然と触れ合う体験を通して、夢や希望を膨ら
 ませる足がかりになってもらえればいいと思っています。
 今は、少年時代という大切な時期に、勉強、勉強ですごしてし
 まう。本当は人や自然の温かさや楽しさ、そして厳しさを知る
 ほうが、どれだけ大切か。

 また、昔は、ごく当たり前のことだった、老若男女の交流によ
 り自分ひとりで解決できない悩み、問題を手助けする機会を提
 供したいと思っています」

 と大場満郎さんは、照れ臭そうに、冒険学校の方針を語ってく
 れた。

 大場さんは冒険の途上、これらの言葉を心がけていたという。
 「自然への畏敬の念を持つ」
 「謙虚な気持ちを持つ」
 「感謝の気持ちを持つ」
 その思いが、この学校に込められているようだ。

 「冒険学校に来る子供たちのなかには、
 “大人なのに自分のやりたいことばかりやっていていいの?”
 と、僕に説教してくる子もいます。

 しかし、そんな子供たちにこそ、目を輝かせて生きることの大
 切さを伝えていきたいのです。
 自然は、様々なことを教えてくれます。そのなかに身を置くこ
 とで、本来の人間性を取り戻せると僕は信じています。

 さらに自然と触れ合たったりすることで、物を作ることの大変
 さも、ぜひ知ってもらいたいですね。水や土の大切さを知って
 こそ、お米を一粒残さず食べるという、感謝する気持ちができ
 ると思っています」

 実際に子供たちは、冒険学校での経験で、どう変わるのだろう
 か。

 「一泊二日ぐらいの参加でも、子供たちの目の色が見違えます。
 東京の方から来た子は、ずっと最上町にいたいとも言ってくれ
 ています。子供は、もともと、自然や動物が好きなんでしょう。

 最近では、自閉症の子供が増えています。やはり環境の要因も
 大きいのでしょう。以前来た、自閉症の子供も、競争の無い、
 ここでの生活で、自分を見つけて元気に帰ることができました」


『 これからの冒険学校
     冒険家として伝えたいこと 』

北極、南極単独徒歩横断に成功した冒険家の大場満郎さん

 一度は、村を飛び出した大場満郎さん。
 かつて大場さんを白い目で見ていた周りの人たちはどう考えて
 いるのだろう。地元で乗ったタクシーの運転手さんがこう語っ
 た。

 「この地域は過疎化が進んでいて、寂れてきている。だから、
 大場さんのように、子供たちにここの良さを伝えて、戻ってき
 てもらえるような場所にしていきたい。本当はもっと冒険学校
 を大きくして、町が活気付くようにしてもらいたいけれど、大
 場さんは金儲け主義ではないし、一人では大変だから、地域の
 人が協力しないといけないね」

 以前のように閉鎖的なままでは、成立しなくなってきた村社会。
 昔は非難していた、大場さんの生き方を、今ではみんなで後押
 ししようとする動きになっている。地域全体で目を輝かせる生
 き方を提案している。

 周りの人にも認められた大場さんは、将来の冒険学校をどのよ
 うにしていくつもりなのだろうか。

 「今でも、都会から来た子供たちに、最上町の学校を見学する
 機会を設けています。学校は、地域にとって大切な場所なので
 す。学校が地域を盛り上げる場になっているので、地域活性化
 の手伝いになればとも思っています。最上町が第二の故郷にな
 り、いずれはこっちに移り住んでくれたら良いと、少し期待し
 ています」

 現在、ツアー会社から100人単位でツアーを組ませてくれない
 か、という依頼もあるが、大きな施設がないため、断っている
 段階だという。

 「いずれはスタッフも増やして、山村留学のように一年間の過
 ごしてもらったり、情操教育やっている学校にも役に立てたり
 したいと思っています」

 
 そんな子供に豊かな経験をさせるための環境作りの一方で、現
 在も地球縦周り一周の冒険を継続中という大場さん。

 グリーンランドから北極圏、カナダ、そこから南北アメリカ大
 陸を縦断し南極へ。さらに、オーストラリア、アジアを通り再
 び北極へ。今まで以上に壮大な冒険だがそこで、伝えたいこと
 とは何なのだろうか。

 「今までも感じていた環境汚染による地球の変化。温暖化や砂
 漠化、森林伐採などを、現地から直接伝えたいと思い、始めた
 冒険です。色んな専門家と同行して、現地から色んなものを発
 信する。また、先住民族の生活や文化なども伝えていきたいと
 思っています。この冒険では、専門家の先生や、メディア、国
 連など色々協力してもらわないと、成果が出ないので大変です
 が、やりがいがあると思っています。冒険に行く隊員は広く募
 集しているが、最近はなかなか集まりません。みんな、頭で考
 えて結論を出してしまいます。」

 冒険学校でも自身の冒険でも子供や親たちに、大場さんが伝え
 たい事は共通している。何事も頭で考えるだけでなく、自分の
 体で感じてほしいということだ。

bar


『 これからの冒険学校
     冒険家として伝えたいこと 』

 編集後記

 「最後まで笑っていたい」という冒険家・大場満郎さんは、今
 も昔も自分に正直に生きている。きっとこれからも笑いなから、
 生きていくはずだ。

 展示室に飾ってある写真。極寒の地で撮られたはずだが、どれ
 も笑顔が絶えない。そこには、人生を楽しんでいる人の姿が写
 っている。形こそ違うが、そこには大場さんが尊敬する鷹匠・
 沓沢朝治さんの思いが感じられる。

 自分は今、こんな笑顔ができているだろうか?
 大場さんに出会ったことで、いつか、心の底からこんな表情に
 なることが、目標になった。

 広大な自然の中で、季節を問わず楽しめる冒険学校のご紹介で
 す。

 (夏)
 無農薬野菜を作り、食べ物の大切さが実感できる“野菜作り”
 生地から作り石釜で焼き上げる本格的な“ピザ作り”
 雄大な自然を感じる“登山体験”など

 (冬)
 数頭の犬に指示を出し雪原を疾走する“犬ぞり体験”
 風の力でスキーを滑らせ、時速数十キロにもなる“スキーセー
 ル”一匹の犬に引っ張ってもらうスキーをする“ジャーリング”
 など、スキー場とは一味違った冬の楽しみ方が出来る。

 また、冒険学校のある“前森高原アウトドアエリア”は、他に
 も様々な施設がある。

 最上焼きが作れる“ふれあい陶芸館”
 自分の力量にあわせてコースが選べる“乗馬体験施設”
 そば打ち体験が出来る“そば処”
 家族みんなで楽しい“オートキャンプ場”
 コテージがあり宿泊も可能。

 いつでも、誰でも楽しめる1日では遊び足りないスポット。
 機会があれば、是非足を運んでいただきたい。


 アースアカデミー大場満郎冒険学校
 〒999-6101
 山形県最上郡最上町大字向町2135
 TEL:0233-43-4563  FAX:0233-43-4564
 ホームページ http://k.d.combzmail.jp/t/9bj0/60ipom003aed3ouf7c


(文・浦上和雄)

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