自分でやりたいことを決める:スクスクのっぽくん

プロに聞く! 山本郁栄プロフィール

1945年 愛知県生まれ。 日本体育大学に入学と同時にレスリングを始め、7年目の1972年ミュンヘンオリンピックの日本代表となる。 その後、指導者としてクラブチーム、オリンピックコーチに。またアメリカ留学で学んだテーピングを日本に持ち込み、スポーツ医療にも貢献。現在、日本体育大学スポーツ医学研究室教授。

自分でやりたいことを決める

のっぽくん
また子供たちが15歳になった時点で、自分の進むべき道を決めさせたそうですが、それには理由があるのですか?
郁栄さん
「子供たちには、どんな道に進もうとも、世界に向かって伸びる人間になって欲しかったのです。15歳になったら、働いてもいい。高校、大学に進んでもいい。どんな道に進もうが、本人が決めたことは親がサポートする。とにかく見定めろと。
今は、何も考えないで、みんなが高校に行くから行くとか、恥ずかしいから大学にいくという人が増えています。いい大学に行けば、いい人生が過ごせるなんてわからないのに、みんながそうしているから進学するという。
その結果、大学卒業間近になっても、自分は何がしたいかわからない、何が好きかわからない、という学生が多いのです。そういう人は、だいたい、自分のことしか考えない人間になってしまいます。だから、早いうちに、もっと自分の人生をしっかり見つめた方がいいと思っていたんです。
ただ、それまでに、きちんとした道筋は、親がつけるのが務めです。才能、性格などを見極めて、子供たちがどんなことなら、ずっとやり続けることができるのだろうかと、よく考えていました」
のっぽくん
結局、3人ともアスリートという道を選んだわけですね。15歳以上は、ひとりの大人として接したようですが、ときには口を出したいと思ったことはありませんでしたか?
郁栄さん
「徳郁は、せっかく入った神奈川 桐蔭中学・高校を1年の前期で“ここにいたら、オリンピックにいけなくなる。アメリカの高校に行きたい”と、言い出した。まあ、金かけて勉強させ、ようやく入った桐蔭中・高校だったから、高校までは出てくれと思いましたが、本人が決断したのだから、グッと我慢しました。
たしかに高校生といっても、まだ子供ですから、揺れ動くときがあります。それでも、本人が進むべき道が、1本の軸として、しっかりできていたと思うから、それほど大きくずれていくことはありませんでした。また、ずれたとしても、戻すのは容易なこと。
やはり、自分でやりたいことを決める、ということは、大切なことだと思います」

山本郁栄さん

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