プロフェッショナルに聞く!“生きる力”の育て方 各界のプロが語る、子育てのヒントが満載!

〜“海洋冒険家 白石康次郎”に聞く生きる力の育み方〜

「理屈ではないのです。ただ、心の声に素直でありたいと思っているのです。」(白石康次郎) 幼い頃、広い海を見ながら、こんなことを思いませんでしたか?
「海をどんどん進めば、どこに行くんだろう」「船で世界一周したいな」そして空想の旅に出たものです。
どこまでも続く青い絨毯、大海原に沈む夕日、満点の星空。
ときには荒波を乗り越え、海賊と戦い、巨大生物が・・・・・・。
そんなことを考えながら、ワクワクしたことがありませんか?
しかし、誰しもが、成長するとともに、そんな夢を描いたことさえ忘れてしまいます。
鎌倉の海を見ながら育った白石少年も、みなさんと同じように夢見ていました。ただ違うのは、その夢に、まっすぐ突き進んだのです。そして、今でも──。
26歳でヨットによる世界最年少単独無寄港世界一周を達成。そして03年には、8ヶ月かけて世界一周する過酷なヨットレース「アラウンド・アローン」で完走。
飽くなき挑戦を続ける海洋冒険家の原動力は、少年時代から変わりません。心の声に耳を傾け、それに真っ直ぐに進み続けてきたのだそうです。

白石康次郎プロフィール 海洋冒険家 白石康次郎さん
  • 1967年 東京生まれ、鎌倉育ち
    横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学校卒業後、船乗りを目指し、神奈川県立三崎高等学校専攻科へ。高校卒業後、単独世界一周レース優勝者の多田雄幸氏に弟子入り。多田氏のもとで、ヨットの建造を学びながら、レースのサポートを続けた。
  • 1993年 世界最年少単独無寄港世界一周を達成
  • 1995年 走行距離500km以上を人力のみで走破するアドベンチャーレース「エコ・チャレンジ」に出場
  • 2003年 「アラウンド・アローン」クラスUで4位
  • 2004年10月に行われる「5-OCEANS」に出場予定
    その後は、水泳の指導について学ぶためにアメリカへ留学。帰国後は水泳の指導などに励むかたわら、TV等でコメンテーターとしても活躍。日本オリンピック委員会 環境アンバサダー、日本水泳連盟競泳委員会委員
プロの子供時代がまるわかり!のっぽくんの一問一答!
*お父さんの子育ては…
「僕はオモチャを買ってもらえなかったことを強く覚えています。買ってくれるとしたらプラモデルや模型など。完成されたオモチャよりも、一から作っていく。きちんと作らないと完成しない、そのことを教えたかったのでしょう。」
*旺盛な好奇心とは…
「空も、宇宙も大好きだし。とくに海は間近だったから、いつも見ていて「この海を、越えてみたいな」と普通に思っていました。「この海を渡ると、アメリカがあるんだ」とか「真っすぐ行くと、世界一周できるんだ」と。」
*夢を条件であきらめない考えとは…
「今の子供たちと違うのは、条件で夢を決めないことです。これだと思ったら条件も何もない。それは人を好きになるのと一緒で、本心から思うわけですよね。そこからどうするか、なのです。人に恋すると、普段は出ないようなエネルギーが出るのと一緒でしょう。」
海洋冒険家に聞く!〜 自ら考え、生きる力をいかに育んできたか 〜 少年時代の夢
のっぽくん
鎌倉で海を見ながら育ち、小さい時から、海に出たいという思いを持っていたそうですね。
白石さん
「広いところ好きなんですよね。空も、宇宙も大好きだし。とくに海は間近だったから、いつも見ていて「この海を、越えてみたいな」と普通に思っていました。「この海を渡ると、アメリカがあるんだ」とか「真っすぐ行くと、世界一周できるんだ」と。友達は冗談でそんなことを話しているんですが、僕は、本気。そういう意味では、自分が欲するものに、早く出会えたことはラッキーでしたね。」
のっぽくん
そんな少年時代の思いを、よく維持し続けることができましたね?
白石さん
「それは取材でも、よく聞かれますね。ただ、僕にしてみれば維持しているつもりは、まったくありません。確かに、今までやってきたことは、一人で世界一周をしたり、人からみたら非常に珍しいかもしれません。さらにいえば困難ばかりの人生でしたが、ただ、僕は何一つ、変わったことをしてやろうとか、冒険してやろうとか、少しも思っていないのです。自分の心の声に対して、素直に、好きだなと思ってやっているわけですから。」
のっぽくん
やはり好奇心が旺盛だったのでしょうか?
白石さん
「そうですね。小さい頃に母親を亡くして、祖母に育てられましたからね。親父はサラリーマン。家族旅行というものを、したことがありませんでした。友達が夏休みにどこに行ったという話を羨ましく聞いていました。当時は、家族で海外旅行などなかった時代。テレビ番組の「兼高かおるの世界の旅」を観て、“あーこの人いいな”と、羨ましかったですね。」
のっぽくん
お父さんには、どのように育てられたのでしょうか?
白石さん
「休みの時には、祖母が疲れるだろうと、父親が海やプラネタリウムに連れていってくれました。とくに父親は夢をかなえろというタイプではありませんが、兄貴はプラネタリウムのエンジニア、僕はヨットと、上手く操作したのかもしれませんね。とにかく、僕はオモチャを買ってもらえなかったことを強く覚えています。買ってくれるとしたらプラモデルや模型など。父親にしてみれば、完成されたオモチャよりも、一から作っていく。きちんと作らないと完成しない、そのことを教えたかったのでしょう。
また、オモチャを買わなくても、天体が好きな兄には、当然、一流の天体望遠鏡を買い与えたり、中学生の僕には20万円のパソコンを買ってきたりしたこともあるのです。
そんな親父が話しているのは、「オレは子供の邪魔をしない」ということ。人にはたとえ子供とはいえ、天命というのがある。それを親だからといって、邪魔することはできないということらしいです。だから、すべての判断は、子供に任せられていました。」
インタビュー中の白石康次郎さん 夢を条件であきらめない
のっぽくん
進学校でもあった中学校から、船乗りになりたいと、まったく方向の違う三崎水産高校に進学された。それもお父さんには入学後に伝えたそうですね。いくら選択権が子供にあるとはいえ・・・。
白石さん
「言いませんよ。父は、僕が高校に入った後に調べたようです。“あーこういう科もあるんだな”と話してましたから。とにかく小さいときから、何があっても自分で決めなさいと言われていましたから、その通りにしただけです。
高校を選ぶ際も、海に携わる仕事、船で世界一周できればと思っていたから普通の勉強をしてもしょうがないなと。まあ、文部省の方針と合わなかったのか、ほとんど勉強はしていませんでしたから(笑)。ただ中学校でも、創立以来、水産高校に行く生徒は僕だけだったらしいですよ。」
のっぽくん
自分で決めるということは、その行動に責任感を持つことだと思います。お父さんは放任主義だったのですか?
白石さん
「どこかで父親が見ているという安心感はあったかもしれません。中学校のときに、仲のいい友達と遊んでいて、友達が階段から落ちて骨を折ってしまったことがありました。先生に呼び出されて“お前が悪い。親に電話するから”と、いわれて覚悟を決めていたんですよ。しょうがないなと。
会社から真っ直ぐ学校に飛んできた父は“お前は家がわかるか?”と。それで父親と一緒にケガした友達の家に行きました。
そのとき父親は何も怒らず“こういうときは誠意をもって謝りなさい”と言っただけ。そして友達の親に頭を下げているのを見たときに“あー申し訳ないことしたな”と思いましたね。
それとともに自分で決めるということの厳しさを実感しました。」
のっぽくん
三崎水産高校時代に、ヨットの魅力にとりつかれたわけですが、どのようなきっかけですか?
白石さん
「高校2年生のとき。82年です。テレビでヨットのレースを放送していたんです。その放送では『BOCチャレンジ』というたった1人で世界一周するヨットレースの小さなクラスで日本人が優勝したことを伝えていました。それを観るまでヨットのことなど、まったく知りませんでしたから驚きましたね。こんなヨットレースがあるのかと。僕が憧れていた世界一周を、エンジン付きの船ではなく、あの綺麗なヨットで、しかもたった1人で……。
その頃は、突っ張っていた頃だから“よしやってみよう。このレースに出てみよう”と思ったわけです。これで将来が決まったなと。」
のっぽくん
ヨットレースで世界チャンピオンになった日本人をテレビで見ただけで、いくら少年時代の夢と重なったとしても、その後の決断力と行動力はすごいですね。
白石さん
「我が家は、何もしなければ何も起きない家です。お腹が空いたと思っても何もしなければ何も変わらない。結局、台所に立つしかない。洗濯物もそう。部屋に溜まっても、自然になくなるわけじゃないです。そんな環境が影響しているのかもしれません。
今の子供たちと違うのは、条件で夢を決めないことです。これだと思ったら条件も何もない。それは人を好きになるのと一緒で、本心から思うわけですよね。そこからどうするか、なのです。人に恋すると、普段は出ないようなエネルギーが出るのと一緒でしょう。」
のっぽくん
そこでヨットレースで世界チャンピオンになった、後に師匠となる多田雄幸さんに会う為に、東京に1人で向かい、電話帳で連絡先を調べ上げた。やはり、そのパワーは凄い。
白石さん
「単純に多田さんに、体験談を聞いてみようと思ったわけです。とにかく、この人に直接、話を聞きたいと。よくそれを特殊なことだと言われますが、僕としては非常に真面目で素直なことでした。
たまたま多田さんは、38歳で、初めて手作りのヨットに乗り始めた人で、それまでは個人タクシーの運転手をしていた。だから、連絡先がすぐにわかったんです。」
のっぽくん
それもお父さんには伝えずに行動したわけですよね。
白石さん
「小さい頃、父親とどこか出かけたときに、駅で“この電車、どこに行くの?”と聞いたことがあるんです。すると父は、あそこに駅員さんがいるから、聞いておいでと。万事が万事、そうでしたから。あとから父親に聞いたのですが、そうやって、本当に聞いてきたのは、兄妹では僕だけだったようです。
そういう意味でも、師匠になる多田さんに電話したのも、風力だけで走るヨットで世界一周できるなんて、無謀だけどすごいことだ。ただ考えているだけじゃ、わからない。だったら、ヨットで世界一周した人に会ってみよう。ごく自然なことです。」
のっぽくん
押しかけた高校生の白石さんとは、なんの面識もない多田さんが白石さんを弟子にした。不思議な縁。何かに導かれたとしか思えませんね。
白石さん
「馬が合ったんでしょうね。多田さんは天才タイプ。とにかくハートの大きい人で、まるで春風のごとし。もはや達人の域に達していた気がします。
当時、就職するかどうするか迷いましたが、このときも結局“ヨットで世界一周したい”という気持ちの方が強かった。だから多田さんについてヨットの修業をすることにしたのです。」
苦しさを前向きに楽しんで
のっぽくん
師匠を持ち、いよいよ世界一周という夢が現実を帯びたわけですが、どのような修業をされていたのですか?
白石さん
「実家を出て、師匠の多田さんのレースのサポートをしながらヨットの製造方法、整備の仕方などを学ばせてもらいました。ただし、多田さんは“天才型”の人でしたから、ヨットの技術うんぬんよりも、肌で感じたものの方が大きかったですね。とくに、そばにいて感じたのは、何ごとにも、まったく動じない人だということ。どんな世界的な有名なスキッパー(舵をとる人)と出会っても動じない。どんな偉い人でも、肩書きなどで動じることがない。あれはすごいです。
さらにどこか少年の心を持っている人でした。たとえば多田さんは20年間、サックスをやっているのに2曲しか吹けなかった。それなのにニューポートで行われるジャズフェスティバルに出演しようと、申込んでしまったことがありました。当然、断られるわけですが、そんな純粋で、人間的な魅力の持ち主ですね。
ヨットレースでは想像を絶するほどの孤独、空虚を感じます。そんなときに必要なのがタフな精神力。さらにいえば、何ごとにも動じない、いわば禅の境地。そんなところを多田さんからは教わりました。
またヨットの製造方法、整備などは造船会社の社長や港の人に教わりました。当時、僕が20歳くらいですが、付合っていた人は、みんな50歳以上。みんなに可愛がられていましたね。」
のっぽくん
その後、26歳のときに、ヨットの単独無寄港世界一周に挑戦され、見事、成功されましたね。
白石さん
「その成功の前に2度、失敗しているんです。とくに2度目の挑戦では、公開中にマストを支えるワイヤーが切れてしまって。1度目も失敗しているので、僕は恥ずかしくて日本に帰られないと思っていました。でも、そのとき、無線で、僕を支えてくれた人たちが「地球は逃げないから」と諭してくれたんです。僕はなんの才能もない人間です。とくに運動能力に優れていたわけでもないし、育った家もごく普通のサラリーマンの家庭。ヨットが簡単に買えるわけでもない。世界一周にしても、僕一人でやったことなど一つもありません。夢を叶えるためには、人の助け、人の力を借りる以外の道はなかったのです。世界一周に成功できたのも、僕を支えてくれた多くの人たちとの貴重な出会いがあったからです。」
のっぽくん
世界一周という夢を叶えられた。この体験で大きく変ったところはありますか?
白石さん
「世界一周に挑戦したときに、それまで順調に風が吹き進んでいたのに、ある日、ぴたりと風が止み、まったく動かなくなってしまったことがありました。そこから2週間、まったく動かなかったんです。
チャート(海図)を調べてみたら、普段なら3日で進められる距離を、2週間たっても前に進むことができない。
それは恐るべきことで。「うわー」と思ってしまったんです。でも、僕がどんなにわめこうが、苦しもうが、海はまるで鏡のように静まり返っている。僕がどうしようが、自然は関係ないわけです。動かないときは動かない。人間がどんなに努力しても動かない。つまり、僕らは、そんな自然の上で遊ばせてもらっているわけです。その大きさというか、人間の無力さを自然から教わりましたね。」
のっぽくん
03年には師匠の多田さんがかつて優勝したことがあるヨットレース『アラウンド・アローン』」に参加し、見事4位完走を果たした。レースは230日に及び、その間は1日2食。睡眠時間は2時間という過酷な日々ですね。
白石さん
「本当に苦しくて辛いです。航海中、何度も泣きましたからね。でも、苦しむのが目的ではありません。その先に大きな喜びが待っているからこそ、その苦しみを前向きに楽しんで、乗りきっていこうと思うんです。」
のっぽくん
そのレースでも多くの人が白石さんの夢を支えてくれたわけですね。
白石さん
「僕の親父も不思議に思っていました。普通は何回か失敗すれば、協力してくれる人でも離れていくものなのに、失敗するたびに、協力者が増えていくのはなぜだと。思うのは、夢が大きければ大きいほど、それを支えてくる味方が必要だということです。以前、少林寺拳法を習っていたときに、師範が、「どんなに強くなっても、1人で1000人の敵を倒すことはできない。でも、ひとつだけ方法がある。それは1000人の味方をつくることだ。」と話してくれたことがありました。まさに、その言葉どおりだと思っています。」
インタビュー中の白石康次郎さん 頭で考えるのではなく心を使う
のっぽくん
多くの人の支えを得て、夢を実現されている白石さんですが、プレッシャーはありますか?
白石さん
「それは考えないことはありません。僕がやろうとしていることは、失敗したら、最悪、死んでしまうわけです。それは想像を絶するものがあります。さらにいえば、前回成功しているから次も成功できる保証は、なにもありません。
だから、プレッシャーを考えると、前に進みません。今、できることは、目の前にある、ひとつひとつを善処すること。考え、悩んでも、なんの解決にもならないわけです。それは受け入れるしかありません。
冒険家として気をつけていることは、モチベーションがないのに、無理やり冒険しないようにすること。冒険を続けていると、「次は何をするのだろう」と周りが放っておかない状況に陥る。そこでモチベーションがないのに、お金や条件は揃ってしまう。そのときに金銭、名誉など欲をかいてはいけないのだと思います。
その点、僕の周りは反対する人が多いのです。「世界一周はやめとけ」と、言う人もいる。成功など信じていないですよ。「まさか世界一周するとは思わなかった」なんていう友達もいます。そういう人たちを、僕は大切にするわけです。」
のっぽくん
ヨットで世界一周をした。また、18才のときに夢見たヨットレースにも参加し、見事完走を果たされました。さて、今後の目標は?
白石さん
「06年に行われるヨットレース「5OCEANS」で、日本人初の「クラス1」での出場を目指すこと。その後も、ヨットレースは2、3回出てみたいですね。あとはエベレストにも登りたいし、“パリ・ダカールレース”にも出てみたい。それから飛行機を作って、ぜひ飛んでみたいですね。
また50才になったら、今度は、お返しする番。今の僕があるのは、師匠、良き仲間、家族のおかげです。僕が、未来の若者たちに対して、師匠や良き仲間にしてもらったことを、返していかなくてはいけません。
だから、この先も、ずっと忙しいんです。もうやることがいっぱいで。果たして、どこまで自分を高めることができるかと。」
のっぽくん
お話を聞いていると、とても明確です。だからでしょうか、とても心にしみ込んでくる。
白石さん
「それは、僕は頭を使わないで、心を使っているからでしょう。頭というのはいわばコンピューター。つまり計算するところです。たとえば、利益に執着する。損得勘定を弾きだす。ポストや地位に執着する。あるいは言い訳する、自分の身だけを守る。これらはすべて頭が司るものです。
でも、僕は何か決めるとき、頭を使うのではなく、最後は心を使うのです。
そこで大事なのは、計算ではなく、正しいか正しくないか。心で決めるから、シンプルになってくるのだと思います。
このシンプルを突き詰めていけば“空”になる。師匠の多田さんは、その域に行っていた。僕も70歳くらいで達成できればいい。とにかくシンプルに、目標に向かって歩くことですね。」
のっぽくん
少年犯罪、学級崩壊、引きこもり……。子供も親も迷っている。そんなときに白石さんの生き方、言葉が大切だと思います。
白石さん
「親や子供に会う機会があります。そのときに感じるのは誰もが不安を抱えているということ。それは物事を複雑に考えすぎている気がします。
たとえば、コンピューターを使っていて情報を詰め込みすぎると、フリーズしてしまいます。それはCPUが満杯になるから。
それと同じように、人にもいろんな情報が集まる。まして今は、情報過多の時代。その情報を次々と詰め込んでしまったら、やはりフリーズしてしまうのです。宮本武蔵の『五輪書』でも戦いのなかで最も大切なのは“平常心”だと言っています。人も、何かするときは、素直な心に従い、頭を軽くすると、最高のパフォーマンスができるのです。
また心を自分の中心に置いておけば、なんかトラブルが起きても、対処できるのではと考えています。」
のっぽくん
最後に夢を持つことの大切さを教えてください。
白石さん
「エベレストを登るにしても“パリ・ダカールレース”に出ることも、世界一の山があるから登りたい、砂漠を走りたいだけ。理屈ではないのです。ただ、心の声に素直でありたいと思っているのです。自分の心に素直でいること。それは心が常に透明であることが大事。
それは湧水に似ています。いつもきれいな水が湧き出てくるようにしていれば、泥水が入っても濁らない。その上で、一生懸命になって突き詰めていけば、「こうしたい」「こうなりたい」という思いが生まれる。それが夢だと思います。別にヨットで世界一周などの無謀な夢を持つ必要はありません。温かい家庭を築く、会社員として働くでも、どんな内容でもいいのです。
そんな夢、やりたいこと、好きなことを持っている人には、多くのエネルギーがみなぎっている。それが苦しいとき、辛いときに、不思議なパワーとなるのです。」
のっぽくん
澄んだ瞳を少年のように輝かせて、お話になる白石康次郎さん。その一言一句がとても心に響きます。それはやはり机上ではなくリアル。ご自身が体験されてきたことを語る。さらにはご自身の言葉で語るところだと思いました。
白石さん
「まだまだ僕は熱く語るでしょう。でも70才くらいになったら“春風のごとし”という生き方をしたいんです」とおっしゃる白石さん。
夢を追い続けている人は、とてつもなく格好いいなと思いました。
インタビュー中の白石康次郎さん
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