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身長を伸ばす可能性を高めましょう!スクスクのっぽくん





我々日本人にとって知っておくべき、語り継ぐべき物語があります。
この地球上には幾千年、幾万年も前から数え切れない人と人が織り成してきた物語が満ち溢れています。人と人が出会うということはどういう事でしょうか。人類の歴史を見てみると一つの出会いが凄まじくも奇跡的な確率で起こっている事が分ります。400万年とも500万年とも言われる"ヒト"の歴史。その中で一人の人間がこの世にとどまる時間はせいぜい100年程。この地球の上で今この瞬間とも言える時を共にする約60億もの人々。その人の渦の中で"人と人が出会う"という事はまさに、奇跡としか言い様のない不思議な縁で成り立っているのです。


おにぎり隊の活動も今年で5年目。今まで訪れた国は全て人の縁の繋がりで交流を果たしてきました。
今年、おにぎり隊が赴く国は『トルコ』。今回は最初から交流地をトルコと決め、その縁を手繰り寄せるようにProjectを進めてまいりました。
これまでは炊き出しでおにぎりを握り、"隊員一人々々が友達をつくる。"というテーマでこの活動を行ってきました。そして隊員それぞれが交流地の方と友達として、その後も交流を続けています。
そんな活動の中、ふと気がついた事がありました。交流地へ我々は"日本人"として赴く訳ですから現地の人たちから見て我々おにぎり隊の隊員がまさに"日本人"そのものとして映っているということです。つまり我々の活動は日本を代表する"日の丸"を背負った文化交流プロジェクトになっているのです。
そこで思った事、それは『"日本という国"にとって"友達といえる国"はあるのだろうか。』というテーマでした。近隣諸国、同盟国、経済圏の国々を見渡してみた時、シンプルに"友"と呼べる国はなかなか思いつきません。そんな時、思わぬ歴史の出来事から日本人として大切にしたい、ある国と深い絆を創った人々の物語を知りました。その国というのが『トルコ』でした。


今から114年前、日本とトルコ両国間の歴史に残る大きな出来事がありました。今ではその出来事は我々日本人の中では遠い記憶の彼方となりつつあります。しかし彼の国トルコでは、我が国日本との間にあったその出来事を今でも大切に親から子へ子から孫へ語り継いでいるのです。
それは数多ある歴史上の事件の中でも特筆すべき、日本人とトルコ人との間で成し得た、名もなき人々の命をかけた大いなる物語でした。
明治23年。台風による暴風雨の中、現在の和歌山県串本町大島にある柏崎灯台の戸を深夜叩く者がいました。戸を開けるとそこには全身衣服がズタズタになった異国の男達が助けを求めてやってきていました。これがコトの始まりでした。
トルコから皇帝特派使節団を乗せたトルコ軍艦 "エルトゥールル号"が我が国との修好の使命を果たし帰国途中、熊野灘で暴風雨に遭い串本町の大島沖合で座礁・遭難したのでした。実際大島に赴きその現場に立ってみました。島の東端、切り立った崖の向こうに座礁したとされる場所の波間には海面から突き出した荒々しい岩肌が多数見えます。この崖を命からがら暴風雨の暗闇の中、船員達は助けを求めに登って来たのです。時は明治、恐らく島の人々にとって外国人を見るのは初めてという人もいたでしょう。嵐の夜、裸で赤ら顔の波にもまれ傷つき血走った目の闖入者に、看守は呆然としたそうです。すぐさま遭難者に手当を施し始めました。言葉が通じない上の混乱状態の中で、『そうだ。万国信号ブックを見せよう。』と見せられた本の中、震える手が押えた国旗でやっとトルコ人であることが分りました。

暴風雨の夜の海に救助しに漕ぎ出してゆく。その事が何を意味するか、それは助ける側の串本の島民も助けを求めるトルコの船員も共に海のプロですから分っていた筈です。にもかかわらず串本の人々は『島の者を全員集めろ!』と総出で夜の荒れた海に救援に繰り出してゆくのです。そして69名もの人を救出、239体もの遺体を引き上げ丁寧に埋葬し、救助した人たちに対して自分達の明日の食料にもこと欠くというのに、ニワトリや卵、サツマイモなど喜んで差し出し、冷え切った身体を温める為女性までも裸になり懸命に肌をこすり合わせ、衣類のない船員には自らの服も提供したそうです。

この事件は明治天皇の耳に入り、日本海軍が持つ当時最新鋭の戦艦:「比叡」と「金剛」の2隻で生存者を送り届ける運びとなりました。
当時の世界は植民地政策真っ只中。遭難船は単なる略奪対象に過ぎず、救助される事は多くなかったそうです。そんな中、大島の漁民の命を賭けた献身的な働きや日本からの生存者の送還。加えて山田寅次郎という青年がこの事件を聞き『何たる事か!残された遺族の方達はさぞ大変だろう。』と立ち上がります。山田は義損金を全国へ遊説して集め、今のお金で一億円ものお金を持ってトルコへ旅立ちます。
会見したオスマン帝国皇帝アブドゥル・ハミド2世は驚き『命がけで救って頂いたのみならず、義損金。これは受け取る訳にはゆかない。』それに対し山田は、『これは私個人のお金ではなく日本人皆の総意です。私も持って帰る訳にはいきません。』と。皇帝は大いに喜び、その義損金で山田に日本学校の設立を希望。山田寅次郎はそれを受けトルコに残り、トルコの陸・海軍の士官に日本語及び日本の精神や文化について教える士官学校の教師になります。後にこの事がトルコの歴史を創る上で大きな意味を持つ事になります。


先の世界大戦でオスマントルコ帝国は滅亡しますが、後にトルコ民族を率いて失地回復に立ち上がる英雄が登場します。今のトルコ共和国初代大統領:ケマル・アタチュルクです。なんとケマル・アタチュルクは山田寅次郎がこの士官学校で育てた教え子だったのです。アタチュルクは山田寅次郎からどんな日本の精神文化を伝えられたのでしょう。同じく第二次世界大戦で敗れ占領下に置かれた日本が独立国家として再出発した時、最初に大使館を設立したのはトルコです。アタチュルクは日本への特別な気持ちがあったのでしょうね。今でも新たに日本に赴任してきた大使は天皇陛下から任命状を受け取ると、他の大使が首相官邸及び外務省へ挨拶に行く所、真っ先に赴任の挨拶に行くのは串本町だそうです。

日本とトルコの物語はまだまだ続きます。
トルコで今もなお大切に語り継がれているエルトゥールル号遭難事故のエピソード。トルコの人々の日本人に対する思いが形になって現れたある事件が起こります。
1985年、イラン・イラク戦争が勃発します。当時イラク大統領だったサダム・フセインが宣戦布告、テヘランへ空爆を開始。『48時間後にテヘラン領空を飛ぶ航空機を全て撃墜する。他国からの救援機もこの例外ではない。』その時、テヘラン在住の日本人約1000人の内、テヘランの空港駆け込むも脱出出来ず取り残された日本人が200名以上立ち往生していました。
外務省は日本航空に緊急の救援機の派遣を依頼しますが「帰路の安全が保障されない。」という理由に断られます。空爆へのタイムリミットはどんどん迫る中、テヘランに駐在する野村大使は日頃親交のあったトルコ大使に窮状を訴えます。この時トルコで語り継がれるあのエルトゥールル号の出来事がトルコの人々へ如何に深く刻まれていたが実証されました。そしてトルコ人の勇敢で尚武の気質の高さも感じる出来事になりました。
野村大使からの要請を受けたトルコのビルレル大使はこう答えたそうです。
「分りました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もがエルトゥールル号の遭難の際受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせて頂きましょう。」
要請を受けたトルコ航空。パイロットや客室乗務員も皆、日本への恩返しだという事で救援機に乗り込んでいったそうです。テヘランへは2機の飛行機がイラクのレーダー網を掻い潜り空港へ入ってきました。残された日本人を全員乗せ離陸、テヘランを脱出したのは空爆1時間15分前でした。トルコ領内に無事入った時機長のアナウンス『 Welcome to Turkey 』。何処からともなく機内では大きな拍手が巻き起こりました。この救出劇はトルコ側にとってまさに命がけのものでした。事実救援機がトルコへ戻った時、機体には銃撃を受け被弾した翼がそこにありました。


それから14年後、1999年の一万五千人もの犠牲者を出したトルコ大地震。その時立ち上がった人々が日本にいました。『命をかけた無償の行為で助けて頂いた事、決して忘れてはいけない』 あの時の救援機の乗客たちでした。彼らは全国に支援の環を作り懸命にトルコの復興支援に尽力したそうです。
そしてつい先頃行われたサッカーの"ワールドカップ2002"。6月18日宮城スタジアム"日本対トルコ戦"。
そこにトルコのユニフォームを着てトルコの応援に向かう日本人の一団がいました。串本の人々です。
彼らはTVの取材人を前に、『今日私はトルコの応援に来ました。日本国民皆から袋叩きに遭ってでもトルコの応援をしなくてはならないのです。私は串本の人間ですから…。』
にっこりと笑みを残し、トルコのユニフォームの一団は颯爽とトルコ側スタンドに消えてゆきました。


歴史というのは過去だけで完結されるものではなく現在もなお生き続け、語り続けてゆく現在進行形のステージです。おにぎり隊の活動はそんな過去と現在と未来、繋がっている物語に参加してゆく。そんなプロジェクトにしたいと思っています。そう、日本とトルコの物語は今もなお続きを刻んでいるのです。
日本人として知っておくべき、語り継ぐべき物語があるという事。そして豊かな風土に育くまれ、かくも勇敢で仁義厚く誠意に溢れた人々が創り上げてきた国であるという事。古の先人達が積み上げてきた誇り高き日本文化や武士道等の精神文化を持つ国であるという事。またそんな我が国にとって真に友と呼べる国をつくる。そんな夢を一人でも多くの方と分かち合うべく、今年のトルコでの活動を行います。


日本おにぎり隊 実行委員長  那須 勲




日本おにぎり隊の今までの活動

■「日本おにぎり隊 2000 エリトリア」
託された支援物資を現地の人々に手渡し、ホームステイ、難民キャンプの訪問、孤児院での炊き出しを行う。

■「日本おにぎり隊 2001 インド ダラムサラ」
アーティスト藤田理麻さんによるチベット支援企画の事務局長をしていた那須勲との出会いが縁となり、ダラムサラへ。チベットから亡命してきた子供たちの住む子供村にて学生達と寮での生活をともに交流を行う。

■「日本おにぎり隊 2002 パキスタン北部 パスー村」
2001年インドの研修会に参加していたベイグたまみさんより、ご主人アミン・ウラー・ベイグ氏の出身の村へとご招待頂いたのが縁となり、イスラム教徒、ワヒ族の住む村へ。隊員一同9軒の家へ分かれてホームステイ。老若男女混ざった家族的な構成メンバーでパスー村の家族と交流を行う。

■「日本おにぎり隊 2003 ミャンマー インレー湖ナフー村」
東京でミャンマー民族雑貨商を営む網倉氏と日本おにぎり隊実行委員長の那須との出会いが縁となり、湖上生活を営むシャン族が暮らすナフー村へ。

■「日本おにぎり隊 2004 トルコ イスタンブール&チャナッカレ」
赴く国を最初からトルコと決め、“隊員一人々々が友達をつくる。”つまり、“縁“をつくりだすというテーマの下に活動。訪れたのは、ヨーロッパとアジア、そしてイスラム教とキリスト教が色濃く混ざり合う都市、イスタンブールと美しいエーゲ海に囲まれた小さな港町、チャナッカレ。




「日本おにぎり隊 2004トルコプロジェクト」
の活動の様子が、写真展として一般公開されました。
場所:サンシャイン60・展望台
期間:2005年 2月1日(火)~14日(月)


おにぎり隊は非連続の連続。今後も縁に導かれるまま新しい交流は続くことでしょう・・・




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